TOD2勝手に解釈

TOD2はTODの後の話であるので、PS版TODをソースに出すことがある。(明記するよう心掛ける)TOD2は非常に錯綜しているとおもう。大変難しいので自信がない。

英雄伝/TOD2の物語概略

TODから18年経ち、スタンとルーティの息子カイルはスタンのような英雄になるため旅に出る。途中で英雄を探すリアラに出会い、リアラの探す英雄はカイルであることが判明する。聖女と呼ばれるエルレインは人々を幸せにするため過去を変化させる。カイル一行はその行動を止めるべくリアラの力で過去へ行く。エルレインの行動を阻止したのちにエルレインは彗星を激突させてすべてを消そうとする。カイルたちはそれを止めて、エルレインの大本を絶つ。そうすると、今までの自分たちの旅は存在しないことになった。

TOD2の感想といきなり無茶な結論

いろいろすっ飛ばして結論から言うと、スタンの旅は現実を表していて、カイルの旅は虚構を示している可能性がある。

TODの続編としてこのストーリーを予測できた人はすごい、と思うほどTODとは違う。この両者はゲームとして表しているものが違う(と思う)ので、当然なのだけれど、それほどこのストーリーは想像を逸する物だった。中にはこんなの嘘だ!虚構だ!!と思う人もいる。私も最初はびっくりして、いやいやあのTODの18年後を考えろって言われてこのストーリーが出てくるとは思わんやろwwと思った。しかし、あれだけ売れたTODの続編で、さらに当時のテイルズとしては最高に作りこまれたTOD2が、ストーリーだけ極端に適当にするってありえるのか?もしかして、このストーリーは釈然としない・TODの後には”ない”だろwwwっていうプレイヤーの”無い”という感情は、難解なストーリーを解く鍵である可能性があるのではないか?と思った

神・聖女・虚構

いきなりだが、この世界をしっちゃかめっちゃかにした神・フォルトゥナとそれらから生まれた聖女・エルレイン・リアラはすべて虚構(現実でないこと・存在しないこと)を示していると考える。 TODの人々は神の眼をめぐる争乱で現実の人々は現実に打ちひしがれて 虚構 にすがる。

虚構のレンズ

虚構の元が虚構というなら、その元のレンズこそ虚構(存在しない)である。じゃあフォルトゥナのレンズはいったい何なのか?それはレンズの、虚構性自体なんじゃないかとおもう。

レンズの虚構性

こんなことを言うのは無意味なのだが、私たちの世界とTODの明らかに違うところは、レンズが存在していることである。それがTODが現実ではなくゲーム(=虚構)である証明にもなっているところがある。その虚構性の象徴のフォルトゥナを生み出したレンズを破壊すると、虚構は無くなり現実が存在する。

あなたに出会うために生まれてきた/カイルの虚構 リアラ

英雄スタンには聖女は存在していないが、彼は多くの人に英雄として認知されている。

カイルはスタンのような英雄ではない。 旅の途中カイルはリアラの英雄になり、リアラはカイルの聖女である。リアラの英雄というのは、虚構の英雄ということであり、リアラはカイルが英雄であるために存在している虚構である。

虚構の中で夢を見る人/虚構の中の現実

エルレインは歴史改変時代で、カイルたちに夢(虚構)を見せた。しかしその虚構を見せるエルレインは虚構であり、そのエルレインの存在している世界(=カイルたちの旅している世界)もまた虚構である。虚構のなかで”虚構”と示されたものに存在できるということは、それが事実である ってことを示している。

虚構(存在しない)が真である世界で現実(存在する)を見たとき、それは虚構(存在しない)であるはずである。だから、虚構の中の虚構は現実の象徴であり、あの夢の内容は現実を映している可能性がある(そうでないかもしれないが)。そして、ED後にスタンは生きてるし、ナナリーの弟を助けることができる。

幸せになる夢に存在してる人は、その虚構の摂理に基づいて存在しているから実在していて、そもそも自分の夢が存在しない(=存在しない)リアラは虚構、夢に存在しているのにその秩序に基づかないジューダスは矛盾であるという事実を示している。

ジューダスってかっこいい/矛盾の存在と真実

虚構が真実と離れていた時、矛盾が生じる。というか、虚構は存在しないことなので、一部に真実の摂理で説明できないことを必ず含む。自分が現実だと思っていた世界(虚構) と 真実 の違いが、 矛盾として映る。 矛盾として存在してるのが死人が生き返ったジューダスであり、エルレイン(=虚構)を前提として存在しているにも関わらずそのエルレイン(=虚構)を否定する。幸福になるという摂理がある夢を見るはずなのにその夢を見ないのも、彼が矛盾を示しているからである。 矛盾は虚構の中での真実の手がかりであり、真実と虚構があることを教えてくれる。真実により近づくために矛盾を受け入れると、矛盾はなくなるので、最後に”ジューダス”は消滅する。

虚構の摂理と現実の摂理/リアリティのある虚構

カイルの旅した世界は虚構だったが、その虚構はつらいことも、悲しいことも、別れもたくさんあった。そして現実を象徴するスタン達が現実によって変化(成長)していったように、彼らは虚構のなかで、自分が現実だと思っている虚構(カイルたちの旅した世界) で成長し、仲間を信頼する。

そんな虚構と、現実はとても似通っている。そんな似通った虚構と現実の違いは、何なのだろう、という結論が、最終現代で描かれている。

何でリアラか世界を選ばなきゃいけないんだ!!ほかの人が決めればいいだろ!/TOD2の物語解釈

最後にエルレインは、虚構=真実とするために、世界が存在するという真実ごと吹き飛ばそうとする。今までは真実の上に虚構をのせてきたが、真実がなくなり、虚構のみが存在すれば、虚構は虚構でなくなり、真実となると考える。

最後のリアラ||世界も、”幸せという価値は自分で決めること”のみがテーマ ならリアラが決めることでもある。しかし、リアラはカイルのための虚構である。だから、みんなカイルに”お前が決めろ”と言ってくる。虚構を前提として生きていくのか、真実を求めるのか。何に価値を置くのかは、自分にしか決められないことなんだと言ってくる。そしてカイルは今までの歴史(=TOD)をナマ(しかし虚構)で見てきて、そのナマでまるで現実のような成長を遂げ、現実の人たち(=TOD)がそうであったように、自分にとって価値のある、真実を求めることを決める。

TOD2とTODを合わせて考えてみる

先のTOD考察に書いたように、TODは、スタン達旅は現実を表していた。その現実の中で自分の価値の実現に向かうことを示していたとして、TOD2は、カイルたちの旅は虚構を表していたと考える。

スタン達は現実の象徴であり、彼らは彼らの現実を必死に走っていたのだ。しかし、スタン達もまた私たちの現実から見れば虚構である。そして、そのスタン達のTOD(=彼らの現実)から見ればカイルたちの旅は虚構であった。しかし、私たちもスタンもカイルも、虚構の歴史のドームに入っていた人でさえ、自分の信じた価値の実現に生きている

俺たちの現実(運命)をプレイヤーに解き放つRPG/これらを踏まえてTOD2の言ってる可能性の仮説

もしかすると、今現実だと思っているものは虚構かもしれない。矛盾は虚構の前提の中で真実を教えてくれる存在で、自分の目に見える範囲には、矛盾に見えるものがあふれている。真実だと思って選んだ道は、もしかすると虚構の前提の上に成り立っているのかもしれない。

しかし、この現実が虚構だからと言って、そこに存在する自分にとっていったい何が違うのだろう。虚構でも現実でも、それらの価値を決めるのは自分であり、それはほかのだれに決めることはできない。

虚構であることを受け入れてなお、真実の価値を認めてそれを求めたとき、そこに現実との差異は無く、同じようにまた新しい道が開けると思うのである。 虚構のカイルたちと現実のスタン達が同じだったように、それは虚構に生きる彼らと、私たちの間にも差はない。

2013 3 29