PS版TODの偏った解釈

無関係な田舎者が世界を救う/物語概略

惑星に彗星が激突する。激突された惑星は環境が変わり、その数百年後に彗星から飛来したエネルギー物質を使用し、天上に新しく大地を作った。新しい大地の天上側と地上側にわかれて戦争が起こる。地上軍はエネルギー物質を使用したソーディアンという武器によって戦争に勝利する。1000年後、主人公スタンは故郷を出て国の士官になるために密航する。国につかまり犯罪者となるが、贖罪の旅に数人の同行者と出る。しかしその旅は天上の復活をもくろむ天上王ミクトランの思惑の内であった。天上の大地は復活し、地上が破滅の状態に陥る。スタンとその仲間はことの発端のミクトランを倒し、ソーディアンにより天上の大地を消し去る。

なんでショックを受けるのか/ゲームキャラクターの死

いきなりだが、味方だが操られた人や味方だと思ってた人がよく死ぬ。バティスタ・グレバム・ダリス・リオン・イレーヌ・バルック・レンブラント・ヒューゴ・・・などなど、グレバムやバティスタはフィリアにとっては元同僚で元味方だが、心置きなく倒す。だって倒さないと前に進めないし、プレイヤーにとってグレバム・バティスタは最初から倒すべき敵という認識で登場してきているからである。スタンはフィリアとそこに一緒にいるため、フィリアのことを思いやれるが、プレイヤーは画面で見ているだけなので、フィリアのような経験がないプレイヤーはフィリアに感情移入することがない。

しかし、プレイヤーが味方としてかかわったキャラクターになると話が違ってくる。プレイヤーはゲームのNewGameを押した瞬間はニュートラルな気持ちでゲームを始めるが、味方としてゲームで示され、ゲームを進めるにしたがってキャラクターの言動がツボにはまったり、レベルが上がってくると愛着が湧いたりするものである。そんな味方だと思ってたキャラクターが裏切ったり不幸のうちに死んで行ったりすると、まるで存在している人物がそうなってしまったようなショックを受けることもある。(*shock)

ショックを受けた先にあるもの(*shock)

ショックを軽減するためにキャラクターに幸福になってほしいと思う。そしてどうすれば幸福になるのか探る者もいる(同人)リオーーーン!!(リメイク版CM)

TODスタッフの無情さ/報われない努力と報われる努力の差

リオンは戦って死ぬ。 しかしスタンは、無理かもしれないけれど、とりあえず地上の危機を、自分の危機を乗り切る努力をして、達成することができた。

この報われる努力と報われない努力の差は、ルーティとリオンがよく表していると思う。 リオン・ルーティともども親から必要な愛を受けられずに育つが、それぞれの人生で自分に愛を注いでくれる人を見つけ、その人(達)のために苦労を惜しまず、時にその行動によって多くの人に非難されることを受け入れるほど尽くす。二人とも自分に与えられた境遇を受け入れざるをえず、同じような目的に同じような覚悟をもってして動く。しかしリオンは死にルーティは生き残った。その違いは、二人の努力や能力とは無関係なものであった。

無関係なもので決まる結果

無関係なもので決まる結果にプレイヤーの選択がかかわる例は、ダリスの生死がよく表していると思う。マリーは記憶が戻ってからダリスの身を案じていた。そりゃあ何年か一緒にいて、さらに夫なわけであるから当然なのだが、その生死を握るのはダリスとはマリーより関係のないプレイヤー(=スタン)である。しかも初見ではプレイヤーは自分の選択がマリーのダンナの生死にかかわってるとは思ってもいない。

理想と実現と努力/無理のある物語解釈

ここまでの話を、そうだろうなあと仮定した場合、この物語を私が解釈すると、次のようになる。

スタン・ルーティ・リオン・フィリア・ウッドロウ・チェルシー・マリー・ジョニー・コングマン・その他脇役敵役すべて、目標は変化することもあるが、理想・目標をもって進んでいる。 飛行竜は物資を届ける。スタンは士官になる。ルーティはお金を儲ける。罪人になったら贖罪の旅に出る。ミクトランは神の目を探す。リオンはヒューゴの駒になる。 マリーは記憶を失い自分の人生を謳歌し、ダリスが死ぬ一瞬は、彼を生かすために自分の身を構わなかった。 もしかすると精一杯頑張っても理想には届かないかもしれない。解決の根本は自分の努力ではどうにもならないところなのかもしれない。でも彼らは理想に向けて努力した。

ダリスの生死はマリーの思惑とは無関係なところで決定していた。孤児院の立ち退き要求はルーティの関係のないところだった。リオンの死はスタン達のやり方では避けることができなかった。1000年前のことも、ルーティが捨てられることも、ヒューゴが操られることも、リオンが死ぬことも、ソーディアンがなくなってしまうことも、スタンらが前に進んだときに変えることはできなかった。しかし、スタンの努力は天上の大地を消滅させ、地上に光をもたらした。

TODについてさらにグズグズ言う/これまでのまとめ

Tales of Destinyより、TODにおける運命がこの物語全部、つまりPC(スタン)(*npc)の行動の結果を指すとする。 プレイヤーは常にNPC(キャラクター)とGM(ゲーム内の自然の摂理)によって作られた選択肢を選択するが、選択の違いは結果(運命=ゲーム中の物語)を変える時ある。しかし、変わらないときもある。 それらはNPCも同じであり、NPCはPCとその他NPCとGMによって作られた選択肢を選ぶ。用意された選択肢の先には求めていた結果が存在しないこともあるかもしれない。それでも可能性は0でなく、前に進みたいときは前に進む。

選択はどのNPCも当然のように行っている(グレバム・バティスタ・イレーヌ・バルックは、与えられた選択肢が地上の滅亡にかかわる選択肢が存在していた)。プレイヤーとNPCによる選択の変化による結果(運命)の変化をよく表しているのが、 ダリスの生死とスタンらの行動であり、はずれの選択肢しかない、というのがリオンの死とスタンらの行動である。さらに、それらのはずれの選択肢しかない状況とあたりの選択肢を含む状況の違いについて、リオンとルーティの状況がよく表している。努力によって達成できたことを示しているのが、天上を消滅させたことである。

PC(スタン)とNPC(リオン)とGM(自然の摂理)(*npc)

プレイヤー→椅子に座ってゲームしている私たち
PC→prayer character プレイヤーはこのキャラクターでゲーム内を引っ掻き回せる
NPC→non prayer character プレイヤーではないキャラクター
GM→そのゲーム内世界の自然の摂理

・GMはNPCとプレイヤーの両方に影響を与える。
(湖の中は入れない・などの、ゲーム内の摂理。昔の自分の選択(変更不可能)・己の状態もここに分類する)
・プレイヤーはNPCの行動に振り回されている。
(グレバムの動向・ヒューゴの動向)
・しかしNPCもまたプレイヤーの動向に振り回される。
(プレイヤーが敵にかつ、キャラクターの生死)

これらを踏まえての総まとめ/PS版TODの言ってることについての仮説

TODはプレイヤーを自分とし、NPCを自分以外の他人、GMを現実の摂理ととらえて、現実世界を表したのでは無いかと思う。自分の理想があったとして、それらに絡まる現実・他人は厳しく、自分にできないことはたくさんあり、理想に到達しないかもしれない。それは、自分が他人の理想の実現に邪魔であることがあるときもあることを示している。しかし、自分の理想に近づくためには、少なくとも自分のできることをやるしかないんじゃないだろうか。

蛇足:キャラクターについて

スタン

スタンはリオン・ルーティ家族に比べてほとんど騒乱の敵側とは、俺の平和が乱される 以外の関係がほとんどなかった。ルーティやほかのキャラクターは、恨みや積年の思いがあるが、結果を握るのは関係性の薄いスタン(=プレイヤー)である。 多くのプレイヤーは孤児院に入れられたこともなく同僚に裏切られたこともない。王子になって放浪してたら親父が死んでた経験もないし世界||大切な人という選択を迫られたこともない。世間知らず(=いきなりゲームを始めたプレイヤー)で、そういう経験のない純朴な人間である。

ルーティ

考古学者のヒューゴ・ジルクリストと一般女性クリス・カトレットの間に生まれたものの、親父は1000年前の遺物に操られ、母親によってソーディアン・アトワイトとともに孤児院に預けられる。 幼少を孤児院で育ち、少女は大人になると孤児院のために旅に出て、国に悪名をとどろかす。 彼女は国につかまる悪事を働き、罪を償うために用意された旅はルーティのしらない操られた親父のお膳立て によるものだった。

彼女が罪を償うと、今度は親父と弟が罪人となり世界を滅ぼしかける悪人となるが、ルーティとその仲間らは二人を手にかける。 孤児院を立て直すために出た旅がきっかけで本当の家族を殺す。

リオン

操られた親父に、自分の目的に使用するために育てられる。 捨てられなかった弟は、親父に捨て駒として育てられ、捨てられた姉をヒューゴの捨て駒として見張る。 マリアン・フュステルをしたう。 スタン達の旅に同行するが、ややヒステリック・冷静冷酷である。 マリアンを人質に取られたため海底洞窟でスタン達と戦い死亡する 親父は操られマリアンは同情でしかリオンを見てない(攻略本)という愛情ジリ貧の状況にかかわらず、 自己犠牲的な死に方であった。 ルーティと対比させるとそんなに変わらないのに死相がでまくっている

2013 3 23